さく旅

あちこち行きたくてチョロい私の旅行記

死因:真面目

彼氏と別れた。短い付き合いだった。

私はいわゆる9時5時の仕事をしていて、残業なし。そこそこ薄給。だけど時間には余裕がある。前職はかなり忙しかったけれど、狡猾に立ち回って上司に気に入られていた。女性がほとんどだったのに変な争いも少なく、色々なことを教えてもらって人間関係は円滑だった。生きていくのに必要な知識もたくさん得られたし、一生ものの大事な同期にも恵まれた。

昔から指図されるのが嫌で仕方なかった。運動部の縦社会も大嫌いで、中学でも大学でも部活を途中でやめた。ただ運動したいだけなのに、ろくに年も変わらない人間に、なぜ非人道的な扱いを受けなければならないのかと思った。辞めた後は文系のサークルに入りなおして楽しく過ごした。その時の仲間とは今も定期的に集まってアホなことをやっている。

興味のあることにはのめりこむから、得意科目ではかなり優秀だった。家ではそれを認めて好きなことばかりやらせてもらえた。未だに呑み込みも早いし、ひらめくから、無理強いされた努力をしないで生きてこれている。好きなことに好きなように努力している。

そんな風にしてゆらゆらと生きて、割と毎日楽しい。できることをやって、興味のあることを追及して。たまに知らないことを勉強して、行きたいところに行き、やりたいことをやる。家庭環境にも恵まれた。こう書き出すと本当に恵まれてばかりだけど、そのおかげでやんわりしていられるし、臆せずに意見が言える。

彼は真逆と言っていいような生活を送っていた。

ゴリゴリの運動部で運動を続け、男兄弟の中で兄としての自覚を持たされて育ち、午前様と暴力暴言が当たり前の仕事を辞め、今やっている仕事も部署異動のせいで休日出勤や長時間残業がある上に横柄な上司がネックになって他のチームに後れを取っている。

真面目で責任感が強く、期待に応えようと一生懸命になっている半面、とても融通の利かない人だった。物腰柔らかそうに見えて、あれこれと恥ずかしくてできないことがあった。私に同調するばかりで、彼自身のこだわりや信念が最後まで見えなかった。何よりいつも楽しくなさそうだった。彼にも仲間がいることは知っているけど、忙しすぎてほとんど会えてさえいなかった。

「日本人男子」という虚像に求められる資質が、部活動の構造が、日本の働き方が、彼の人間らしさを殺しているように見えて悲しくなった。真面目だからこそこういう道を辿っているんだと思うと余計悲しい。

深い人間関係になればなるほど私は不器用で、こういう彼を救いたいと思いつつも、どうしたらいいのか最後まで分からなかった。頼ってほしいと思ってあれこれ手を尽くしても、頼ってくれなかった。

大まかに書くとのらくらしている私でも、やりたくないことを全くやらなかったかと言われたらそんなことはもちろんない。苦手科目も勉強したし、理不尽なことを言われたり、ミスを責められたことは数多くあるけど、人間らしさを失うほどではなかった。

こうやって生きてこれたのがラッキー、ではなく、当然にならないと、きっとみんながいう「いい国」や「いい社会」にはならないんだろう。それどころか、おかしいのが当たり前になってしまって、おかしい状態を普通と捉えて強要する風潮さえある。

真面目、とはよく言ったものだ。すべてに一生懸命になれば幸せかと言えばそうではない。それを本当に真面目というのだろうか。何に対して真面目なことが真の真面目なのか。今の自分を楽しませる・善くすることに力を尽くすのが真面目なんじゃないか。人として生まれて、それぞれ考え方は違えど、ひとりひとりが善く生きていいはず。そこに社会的な役割や序列が過干渉してはいけない。これを幻想だの頭沸いてるだのと思うなら、今すぐわが身を振り返ったほうがいい。

単なるすれ違い、縁がなかった、とは思うけれど、もとを正せばかなり根深い問題な気がする。こういう人もいるのかといい勉強になった。もっとずるくなれ。いつも真面目でいなくていい。そして幸せになりましょうお互いに。